最後のアン・バーチャル

eスポーツといのが競技化されて、プロのeスポーツ選手というが成立するようになったらしい。

古い世代からすればそれは子供の遊びの延長にしか見えないのかもしれないのだろうけれど、野球やサッカーだって最初は似たような認識であったろうから、商業として成り立っている以上、それを子供を遊びだというのなら、我々が生きている”リアル”も、より古い世代から見れば子供の遊びと大差はないのかもしれない。

しかしこのバーチャル空間における競技がプロスポーツとして成立するというのは、リアルとバーチャルの境界が、さらに曖昧になってきたということでもある。

概念で生きる人間にとっては、リアルもバーチャルも認識の問題でしかなく、メールはメールの存在しない世代にとっては仮想だが、メールなしではコミュニケーションに障害が起こる現代人にとっては紛れも無い現実として存在している。

しかし、これまでの(バーチャ)リアルは、コミュニケーションが主だった。電子メール、ライン、あるいは商取引の電子化。

これが、eスポーツという、本来肉体に依ってのみ成立していたものが、バーチャルの世界ても認められたというのは、肉体の仮想化の初期段階だといって良いのではないだろうか。

人間は他者の肉体に宿ることで発生し、自らの肉体が機能不全に陥ることで、死ぬ。

けれど、肉体の仮想化は、精神と肉体が別のものであるという幻想を、バーチャル空間においては肉体と乖離した精神のみの存在が成立するという認知によって現実化していくのである。

つまり、生きる、ということの意味が肉体と切り離せない我々の世代は、脳の電子化に対する生理的な拒否反応が存在するが、リアルとバーチャルの境界を、肉体とは関係のない次元におくことになるかもしれない世代にとって、そこには何の違いもなくなっていく。

やがて大多数の人間が電子化された社会において、最後のアン・バーチャル(肉体保持者)たちは思想的に肉体を保つのか、貧しさゆえに肉体であり続けなければならないのか。生物としてのヒトの絶滅がヒトの仮想化によって成るというのなら、あるいはヒトは特別な生き物であったのかもしれないな。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください