なぜ働くのか

ということをむかし思って、調べてみると、「社会に貢献するため」だと書いてあった。

けれど、どうやらそれは全くのほんとうではないらしい。

「社会に貢献する」というのは、きれいなはなしだけれど、どうも嘘くさい。というか、それは共産主義が機能するか、蟻や蜂のような、個と全体が同一に近い社会でもない限りはそういう言い方はできないはずなのに、そういう端折った説明をするから、余計な混乱を招くことになるのだと思う。

ではなるべく端折らずに説明してみるとどうなるのかというと、まず、人間はみんな生きるために生きていて、生き残るために活動をしている。それはつまり人間全体としては、種を保存する(自分自身の生存も含む)という目的を持っているという前提に基づいた上で、以下のようになる。

人間は社会性動物なので、社会に属し、その社会を存続させることで自分自身の生存、種を存続させる確率を高めるという戦略をとっている。安定した社会では、生活し、子供を産み育てることが、そうでない状態よりも容易になるので、種の保存という観点から好ましい。社会の安定した状態を保つためには、社会の構成員の衣食住の供給や、社会の構造、文化によって発生する諸問題を発見し、解決し続ける必要がある。

というわけで、衣食住や諸問題の解決案を社会に供給し続けることによって、社会を安定させ、その上発展させていくことが「社会に貢献する」 = 働く ということの意味になる。

つまり、根本の話では、働く = 経済活動 とはならない。

ただもちろん、生きていくためには食料など、生命維持に必要不可欠なものを確保しないと死んでしまうので、働いた結果として、生活の糧を得る仕組みをつくるか、社会がそれを用意するかしなければ、道楽でもない限り、経済活動以外の働く意欲は湧いてこないので、マネーという、価値を抽象化した概念を利用して、社会の発展を促すという離れ業を人類はやってのけたのだけれど。

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