コンテンツマネジメント

概念は変化する。仕事だって変わる。

デバイスやプラットフォームの多様化で、生のコンテンツやデータ中心の設計手法がいろいろ考えだされている。

ただの Web アプリケーションとしての CMS ではなくて、言葉のままのコンテンツマネジメントの必要性が増してきた。

けれどそもそもコンテンツとは何だろうか。データは粒度の細かいものなので分かり易いけれど、コンテンツというのは定義が曖昧すぎてよくわからない。調べてみると Wikipedia には「情報内容」と書かれている。では、と思い調べてみると、情報の項目には「あるものごとの内容や事情についての知らせのこと」と書いてある。これでは言葉を額面道りに解釈すれば、堂々巡りになってしまう。

じゃあさらに掘り下げて、内容とは何だろうか。内容とは、情報の意味のことを指す。

さて、では意味とは何だろう。

コンテンツをマネジメントしようと思えば、意味の意味をしらないといけないはずだ。何故ならコンテンツとは情報の意味だからだ。

そして情報の意味は情報の内容のこと言っているのだから、意味が何であるのかを理解していないと、何やら頭がこんがらがってくるじゃないか。

意味の意味

意味は認識できる記号があって、その記号に対する理解としてしか存在しない。

有形無形に拘らず、それがあるという認識があって、その認識されたものにたいする解釈として意味が付いている。

「意味がない」という言い方があるけれど、それは対象の使いみちがない、役に立たないという事を言いたいのだろうから、正確には「意義」がないといった方が適当じゃなかろうか。

「意味がわからない」というのは言葉のままで、それが何か理解できないということになる。つまり物があっても、意味を付加することが出来ない状態があるという事になる。

さて、では意味の意味とは何だろう。つまり意味という記号を解釈し、それをさらに意味的な記号として再解釈すると、一体全体何になるのだろう。

いや、全く自分でも質問の意味が分からないので、もっと具体的な意味での意味の意味とはなにかという質問にしてみないと困ってしまう。

つまり「鳥は何故鳥なのだろう?」とか「あいうえおは何故あいうえおなのだろう?」といったような、世界の意味を解釈し始めたばかりの子供がしてくる禅問答の類いのようにだ。

そういえば、ぼくが今より 20 kg 瘦せていた十代の頃、夜中に友達が「自分が何故生きているのかを考えだすと、暗闇の中に落ちていくようで不安になり、眠れなくなる」という類の事を言っていた。

また随分とロマンチックな悩みを抱えているんだな。と思ったけれど、ぼくはそういった事では悩んだことがないので、何も応えなかった。

さて、上の三つの質問は結局どれも同じことを聞いている。

つまり、意味のないものに、どんな意味があるんだろう? ということを聞いている。

なぜならさっき「意味がわからない」の例で出した通り「物があっても、意味を付加することが出来ない状態がある」からだ。

いやしかし、それは意味を知らないだけで、そこには真実の意味があるという解釈も当然ある。けれどそれを証明するためには、唯一無二の真実の意味をみつけてこないといけないし、逆に無いという証明も同じ理由で出来ないので、結局は同じことになる。

意味とはひたすら恣意的に付けるだけのもので、あるものじゃない。意味があると思っているものは、社会的、体験的なものによって、自分で勝手に意味付けしたものでしかない。

これで三つの問題全てにすっきりと応えることができる。

コンテンツの意味

じゃあコンテンツマネジメントに戻ると、コンテンツの意味を探すと酷い目にあうに違いない。きっと暗闇に落ちて戻ってこれなくなる。

コンテンツの意味は付ければいい。自分たちにとって一番都合のいい解釈をして、時間が経ってそれに即さなくなれば、また変えればいい。

意味が付いて、その意味をみんなで共有すれば、やっとこさデータドリブンなデザインの準備が出来る。

でもその前に、コンテンツマネジメントとは何だろう

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