ユーザーステートデザイン

行動を起こす時、何かを受け入れる時には心の準備がいる。

街中で突然ビヨンセが歌いだせばみんな熱狂する。一方葬儀の最中にお嫁サンバを歌いだせば、つまみ出される。

ところが同じ葬儀の場でも、故人が望んだのであれば、みんなでサンバを踊って笑っていたとしても、それこそが葬儀になる。それでも涙せずにはいられないのなら、あとでひっそり泣けば良い。

街中ではみんな刺激を求めている。だから刺激を与えればみんな大喜びで食いついてくる。同じように通常の葬儀の場では哀しみのステートができている。だから哀しみを茶化すような真似をすれば受け入れられない。

人間にはステートがあり、そのステートにそぐわないものはすぐに受け入れることができない。

優れた歌手や役者は観客のステートをデザインする。彼(彼女)が舞台に立った瞬間に空気が変わる。そしてその第一声で、世界を完全につくり変えてしまう。

勢いのある組織にもまたそういった人物がいる。彼(彼女)がそこにいるだけで安心感がうまれ、何でもできるような気持ちになってくる。そういった組織は乗数的に能力発揮するチームがうまれる。そこでは、その人物がいることで、ステートができている。

極端な例が続いたけれど、日常にもステートがある。まず朝起きるためには「さあ起きるぞ」というステートを、仕事(勉強)を始める前には「さあ始めるぞ」というステートを意識的につくりだしている。

そしてデザインのステートの入り口は、当然五感への作用による。

かわいいものはかわいい見た目をしている。辛いものは辛い匂いをしている。

もしディズニーランドで、軍人が長靴を履いて軍事パレードをやっていれば、軍事オタクでも無い限り不愉快だろうし、銀行員が水着姿のバニーガールなら、まさかそこに大金を預ける気にはならないだろう。

けれど入り口で成功していても、中身がなければ台無しになってしまう。あくまで五感への刺激は入り口でしかない。どれだけ信頼のおけるような身なりをしていても、金融商品に対するリスクを尋ねてもまともに応えられない銀行で資産運用をしようとは思わない。

同じように、莫大な広告費を使ったところで、商品がすぐに壊れたり、不味かったりすれば二度目はない。美辞麗句それだけでは、ただの美辞麗句でしかない。

それでも入り口は大切で、誰もまず一歩踏み出してもらわなければ説明もできない。商品を手に取り、購入し、使ってもらわなければ、その良さは理解してもらえない。

入り口のはなしが続いたけれど、ここでいうステートは入り口のことじゃあない。

ここでいうステートは、説明を受ける、もしくは商品を家で使う直前から使い始めの数分を指している。

つまりディーバが舞台に立ち、ワンフレーズを歌い上げるまでのこと指す。

そこで全てが決定される。その歌に自分の貴重な人生の一部を費やすべきか、もしくは別のもっと大切な、例えば今夜の夕食に何を食べるのかを考え始めるべきか。

道具なら使い易さ。ズラッと並んだ意味不明なボタン群、分厚い説明書から始まれば、もっと別の楽しいことをしたくなる。

食事なら盛りつけから最初の一口。まろやかな舌触りと鼻腔をくすぐる甘い香りが広がれば、ステートデザインは成功している。その次の料理の苦みこそが、コース全体を構成する重要な要素だということも、説明するまでもなく理解してもらえる。

つまりステートデザインはある意味で演出のことを指す。実体の最上の部分をかいま見ることができ、分かり易く、正直で、短時間で納得できるようにしなくてはいけない。

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