時計で社会は変わるのか

時計の面白さは、ひとつの完成形であると同時に、機能としては止まることなく動き続けなければならないところにある。

形を変え続けることで常に完成を目指す。

しかも、ぐるぐる同じところを回る。そして厳密には常に完成の直前か直後の状態で、永遠に完成にたどり着けないというのは哲学的でさえある。

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しかしデジタル時計の場合、このくるくる回る感じがない。同じところに戻るというよりは、全てリセットされてやり直し感がある。

時間もまた表現される形によって、その概念も変わる。

時計のコンセプト

時計のコンセプトは、本来目に見えず、個人の主観的なものである時間に形を与えることで、観念を概念にして社会的な共通認識の灯台となることだ。

時間を定義するための時計

表現のされ方によって思い描く時間は変わる。

ミリ秒まで表現された時計と、秒針のない時計では用途も、見る人の意識も変わる。

時計を変えることで、ひとの認識が変わる。社会が一人一人の認識から創発した幻想だとしたら、認識の変化は社会の変化そのものだと言える。

時計で社会が変わるとしたら

どんな時計にするだろうか?

時計の形を考えるということは、革命を起こすほど難しいことじゃない。けれどその結果、それが革命的ではないにしても、社会に一定の影響を及ぼすのなら、一体どんな時計が考えられるだろうか。

時間を色で表現する

例えば時間を色で表現すると、数字に比べるとずいぶん曖昧なものになる。

朝を青、昼を黄色、夕方を紅、夜を紺。

「時計が紅になるまでに帰ってくるのよ」とか「もうすぐ青になるから早く寝よう」なんて。

現代文明はそれじゃ成り立たないのかもしれないが、何も全部を置き換える必要はない。

休日の
わたしの時間は
色時計

なんて、川柳みたいになったけど、個人や限られた友人関係だけの社会なら可能だ。

そうやって時計の表現を変えることで、絶対だと誤解されがちな時間も、捉え方の問題なのだと多くの人が思うようになれば、社会は少し変わるのかもしれない。

  • 2021年01月08日
  • 東 敏満