リブラと鴻蒙 (ハーモニー)

Jo-BによるPixabayからの画像

テクノロジーはいつだってフロントミッションを担ってきた。

鉄社会は銅社会を駆逐し、銃は騎士を駆逐して国民国家をつくりあげた。

いずれテクノロジーは国家という枠組みを過去のものとし、自由、平等といった革命思想すら埃を被った過去の遺物と変えてしまうのかもしれない。

例えば Facebook の打ち出したリブラは、政府による中央集権型の金融システムを破壊し、新たな経済システムを創り出す可能性を秘めた脅威として既存の統治機構に認識されている。

新たな利権は既存の勢力をより強固なものにする一方で、新たな世界観が発生することで新興勢力を産み出す。

鴻蒙は混沌から天地が分かれる天地創造の時代だというのだから、それは西洋的価値観の独占に、一党独裁という体制がぶつかり合うことで新たなダイナミズムをつくりだすという意味なのかもしれない。

また、民主主義はハーモニーである以上に混沌だということはその成立以前からいわれ続けてきたし、右傾化する国際社会というのは、民主主義の失敗の結果なのかもしれない。そうしてあるいは、民主主義は弱者の論理なのかもしれない。

かといって社会を変革してきたのは弱者で、社会問題は弱者によってしか認識されず、強者は変化を望まないのだから、弱者の論理をただの理想主義とするのは間違っている。

そのためには多様な価値観を持った社会が必要で、あなたの価値観が別の価値観によって一方的に排除されないためには別の価値観が一定の勢力を保つ必要がある。

勝ち馬に乗るのはひとの自然な姿で、同時に判官贔屓なんて社会心理もあるのは面白い。

みんなが右を向いてる社会も、左を向いて社会も異常で、リブラ(天秤)が一方に傾くことで独占的な地位になることは、同時にリブラの機能不全であるし、既存の体制も野心的な新興勢力もそれを望まない。

同じように自由主義が唯一価値観である社会も異常で、かといって社会主義だけでは身がもたず、共産主義は労働意欲を奪いとる。

おもしろいことに、覇権を握ることによって権力は弱体化していく。

適度に対立勢力がいて、適度に覇権を維持し、自らの意思だけでは成し難い自己変革を、外部の圧力に寄って実行することによって、体制を維持できる。

もしそれを調和(ハーモニー)と呼ぶのなら、それはよくできたはなしだななんて思う。