デザインの最近のブログ記事

ソシオメディアの篠原 稔和さん監修の『DESIGN IT!』という雑誌です。

内容はUI設計、情報アーキテクチャ、ユーザビリティ、インタラクションデザインなどの専門的な内容となっています。

Web系の雑誌はけっこういっぱいあるけれど、学生が読むような内容のものや、企業のWeb担当者向けのものが多かったので、プロ向けに書かれた本格的な内容のものは、希少です。

とりあえずケンタに2時間居座って読み上げました。

DESIGN IT! vol.1DESIGN IT! vol.1ウェブサイトや業務システムのUI(ユーザーインタフェース)のデザインの事例や考え方はもとより、国内外の役立つ情報とノウハウを伝えていきます。また、DESIGN IT! の共通テーマである「ストラテジー(S)、デザインマネジメント(DM)、ユーザビリティ(U)、インタラクション(Ix)、情報アーキテクチャ(IA)、コンテンツマネジメント(CM)」を機軸に据えながら、最新の実践例や実務情報を交えてご紹介して参ります。

ProcesssingとはMITのBenFryとCaseyReasによってつくられた電子メディアを素材とし、視覚デザインを行うためのプログラミング言語と開発環境です。このソフトウェアは視覚的な表現を視野に入れつつ基礎的なプログラミングを教育するためにつくられ、またソフトウェアのスケッチブックとして提供されています。

なんか前にProcessing.jsというのが公開された時に「ほいでこれで何するねん」みたいなことになりました。

「いやー、なにするんでしょうね、アートじゃないですかー」とか適当に答えてみたけど、アーティストではないので関係ないじゃん。とかあれでした。

でもプログラムによるアーティスティックなビジュアライズというのは、ぼくらWeb屋にしてみればインフォメーショングラフィックスの可能性がひろがるということじゃあなかろうか、とかふと思いました。

Flashが目指すところはきっとインタラクティブで、リッチなビジュアルをもった“インターフェース”だろうから、そいつとはまた別のアプローチでの情報の視覚化という意味でのプロセシングという位置づけとかしてみろうかと思う。

例えばリアルでは、位置というのは意味化ができない。トンネルの入り口は逆から行けば出口だし、出口はまた入り口にもなる。制限を設けることで意味の逆転を防ぐ事も不可能ではないけれど、“入り口”という看板のドアから出てくることは容易い。

ところがサイバースペースでは入り口を永遠に入り口にする事が可能になる。出口に辿り着いた瞬間に入り口に戻す。出口の先が入り口という時空間をねじ曲げるということが至極簡単にできるので、位置の意味化というのが可能になる。

もちろん、リアルにおいても縦方向の移動というのが、高度、深度、というふうに意味付けられ、地点というのが緯度経度によって表される。これは地球を疑似的に情報化することで、コミュニケーションの齟齬を防ぐためにあるのだろうけれど、普通の人にはあまり関係ない。

犬の銅像の前で待ち合わせれば犬の銅像は動かない可能性が高いけれど、それは位置を情報として意味化するのとはまた違う。ただその場所が動く確率が非常に低いから、そこで待ち合わせれば結構高い確率で出会える、ということに過ぎない。

位置の意味化というのは例えば人口の総数を位置で表現するといったようなことで、ある限られたバーチャル空間の中での深度が、人口の割合に比例するとかそういったことだと。

1,000枚の書類を見るより、インフォメーショングラフックスを見る方が情報の取得コストが低いことは誰にも明白なので、そのへんでWebっぽいなとかも思う。

ビジュアライジング・データ --Processingによる情報視覚化手法 ビジュアライジング・データ-Processingによる情報視覚化手法手軽で強力なプログラミング環境「Processing」を用いた情報視覚化技術についての解説書。地図情報・階層ファイルシステム・リスト・グラフ構造・時系列データなど、さまざまなデータの収集・解析手法から対話的な視覚化手法・プログラミングテクニックまでを豊富な実例を用いて詳しく解説しています。

Processing.jp

いくつかコンテンツがありますが、それぞれを独立したものとしてつくっているので、横の繋がりはほぼないです、

このブログだけは個々のコンテンツの更新情報を記録するためにも使用していますが、目的はそこにはないので、あくまで記録の一部でしかありません。

なので、各コンテンツの入り口としてのホーム、という本来の目的に適したデザインにしてみました。

これでデザインしてるのかよ、的なことを思う場合もあるでしょうが、ぼくにとってのデザインとはこういうものです。

Vosegus Sakura(vosegus.org Home)

そもそもWebデザインってのはナンなんだろうか?

プロからすると意味不明なこの言葉について、ほっこりほっこり考える。

Webの目的として考えられるのは集合知、情報共有、自己表現(組織も含む)などであるから、それらのソリューションの一端を担うのが仕事だといえる。

中でも商業におけるWebソリューションにおいて重要な、企業の行う表現というのは、既存の広告という概念ではなく、正しく“表現”という概念でよらえられるべきで、無価値なFlashを、動くという意味不明な理由だけで“ホーム”'(トップ)ページに使用するというは、これはWebサイトをただの看板広告くらいにしか考えておらず、それでは本来得られるであろう利益を喪失してしまいかねない。

なにもFlashが悪いというのではなく、動くということは、逆に言えば動くのを待つ必要があるということでもある。だとしたら、目的を持って訪れる大半の(見込み)顧客に対するアプローチとしては、むしろ時間という概念をもたない通常の画像やテキストのほうが、より確実な方法ではないだろうか。いったい30秒以上“ホーム”'(トップ)ページに滞在するユーザーが何%いるのか、解析してみるとどういう結果がでるのか。情報へのナビゲーションである“ホーム”'(トップ)ページで30秒以上滞在するというのは、むしろナビゲーション設計に致命的な欠陥があるとも考えられる。

では表現と広告の違いは何か?

広告とは不特定多数にたいし、より短時間に、必要最小限の情報を告知するということだとして、表現とは、組織のあり方、商品、サービス、CSRなど、をより具体的に伝えるということだと考えられる。

つまり最も重視するべきは、情報そのもの、そしてその情報にどういったかたちでナビゲートするのか、ということになる。

信用のおけないWeb屋ほど、情報構造、表現手法をないがしろにし、絵でごまかそうとする。

ではWebの視覚デザインの価値はどこにあるのか? それは情報にたいする適切なナビゲーションと、情報アーキテクチャに基づく視覚的構造化にある。

ひとは自らの利益にたいしてのみ金銭を支払うのだから、その利益を以て商品とするべきだというのは、他の業界では当然すぎるくらい当然のことなのに。

生み出された価値にたいする報酬として金銭があり、その金銭がまた新たな価値を産む、というが経済活動のあるべき姿だとしたら、Webデザインのスコープとは、その他のあまねく職業に違わず、価値の創出だといえる。

それにしても最近涼しくなりました。もうすぐ秋ですね。

なんかWebばっかやってると、Webの中だけで考えてしまいがちになる。

情報デザインに関しても、Webのもんだと思いがちだったけど、地図をつくったりだとか、建築とかプロダクトとか紙とか、いろんな分野で情報デザインってのはあるんだなぁ、とかふと気づかされた。

でも、いわゆる"情報"って、結局はコミュニケーションにおける概念のやりとりの中で発生するメタ概念的なものだとか思うので、じゃあ"情報"って人間の社会活動全部だから、それをデザインするってことは社会活動そのものをデザインするってことなる。

たとえばWebの中だけで"情報デザイン"っていったら、それはWeb屋には理解できても、社会的な意味で情報デザインっていっちゃうと、もはや概念という概念を超えて、その単語自体がコミュニケーションを阻害してしまうことになるかもしれない。

だから、情報+デザイン = ; という式を書くと、例え情報とデザインが定義されていても、かえってくる値はundefinedのような気がする。

なんか情報デザインってカテゴライズとかラベリングとかスキーマとかオントロジとかっていう考え方をしてたので、今回のはなしを聞いてよくわからなくなった。

いろんなひとのはなしは聞くもんだな、と思た。

ブログのスキンを変えてみました。

深海のイメージでし。

IE6でみている方はFirefoxIE7とかのモダンブラウザでみてみるとちょっと違います。

i love Typographyというサイトに15 Great Examples of Web Typographyのいうのが紹介されていました。

讀み易い文字が美しいのか、美しい文字が読み易いのか。なんか英字のサイトはかっこいいとかいいますが、まあそんなん言い訳です。かなや漢字には単純なアルファベットにはない美しさがあるので、その辺の特性を理解しつつ設計すれば、アルファベットでなくてもかっこいいタイポグラフィはできると思います。

最近Winでもfont-familyにヒラギノ角ゴシック体を指定したりして、アンチエイリアスのかかったサイトが目立ってきました。ヒラギノ角ゴシック体がどのくらいインストールされてるのかは知りませんが、font-family:MS-ゴシックはもう古いっぽいです。

システムフォントベースでも美しさを損なわないWebタイポグラフィができるデザイナーが、Webでの見せ方に精通しているという意味で、やっぱりプロの"Webデザイナー"だと思います。もう無闇に画像にたよるのはやめてください。

"画像、かっこわるい"、とかいってみたりする。

15 Great Examples of Web Typography

昨日はCSS Naked Dayという日だったらしいです。

CSS Naked Dayとは、CSSをコメントアウトして、HTMLの構造を公にすることで、POSH(Plain Old Semantic HTML)を広めるという意味があるそうです。

やはり美しいサイトというのは、ビジュアルのみならず、全体構造から、ページ毎の情報構造までが緻密に設計されたサイトであると思います。

そもそもデザインとは、計画・設計という意味らしいので、計画も設計もないWebサイトは、デザインされていない、ともいえるんじゃないでしょうか。

多くの仕事は既に概念化されていて、自らの仕事の必要性の証明を求められずに仕事は進められて行く。営業やマーケッターも、その商品がどういったかたちで企業や消費者のベネフィトにつながるのかを証明する必要はあるが、自らが行っている仕事そのものについての証明は求められない。

ただ、自分の仕事の必要性を求められる職業が、思いつく限りではふたつある。それがクリエーターとスペシャリストだ。クリエイティブは無から有をつくりだす(神の仕事を行う)のではく、無形のものにかたちを与えるのが仕事だとぼくは考えていて、多くのひとはその価値を理解できない。ひとは利益にならないことのために行動を起こさないし。企業であればなおさらそうだ。

なぜこのクリエイティブが必要(どういった利益を産むのか)なのか、それを経営者に理解させることができない限り、自らが行いたいクリエイティブを行うことは出来ないし、ただひたするら他人の概念の中でのクリエイティブ(?)をやらされているだけになってしまう。

既に概念化されたスペシャリズムであればそれを証明する必要はないと思うかもしれないが、実はスペシャリズムというのは同じスペシャリズムでも時代によって変化していくので、何故この変化が必要なのかを常に証明できなければ、スペシャリストはスペシャリストではなくなり、ただの丁稚に成り下がる。

そこで証明のために必要なものが専門分野以外の知識になってくる。あるいは自分のスペシャリズムやクリエイティブのよき理解者だと思う。しかしよき理解者であっても時代の変化による変質まで理解してくれるとは限らないので、やはり自分自身でそれは証明していかなければならない。

自分の好きなことを続けていくためには、自分のしたい仕事をするためには,専門分野以外の専門知識も求められて、それはあらゆる職業にいえる。

すごく面倒臭いけれど、そんな者に、わたしはなりたい。

クリエイターの逆襲--ウェブ業界全体の格を上げる「投資活動」を徹底せよ(CNET JAPAN)

便利。あれね。ちょっとした時とか、わざわざmac立ち上げるのとか面倒くさいし。

あと、スゲー思ったのがグローバルナビとかどーでもいい。やっぱ導線設計はコンテンツ部分でしっかりやらないとPVも滞在時間も伸びんじゃないか。

次にユーザーが何を求めるのか、とかこの情報欲しいんならこれもどう? みたいな感じでいつの間にかコンバージョンしてた、っていうのが最強なんだろうね、きっと。