真面目の定義をわざわざするなんて、なんて真面目なやつなんだと思うかもしれない。けれどもぼくの定義によれば、なんとこれは真面目なことではないことになる。

さて、では真面目なひととは一般的にどんなひとのことをさすのかをまとめてみよう。

  • 真面目な人は、融通がきかない
  • 真面目な人は、自分の意思よりもルールや、規則を重んじる
  • 真面目な人は、動作がキビキビしている
  • 真面目な人は、計画的だ
  • 真面目な人は、冗談を理解しない
  • 真面目な人は...

というのが一般的なイメージだと思う。

つまり一言でいうと、真面目な人は、多面的なものの見方ができないのだ。

一見不真面目そうで、冗談ばかりいっているひとがいて、この人は不真面目なひとだなんだなと思って、そう対応すると、驚くようなことになる場合がある。

これは真面目な人 = 冗談を理解しないひと というイメージの逆、冗談を言う人 = 不真面目なひと だという短絡的な発想によって起こる大きな誤解に依るものだ。

真面目か不真面目かは、何々でない、とか、何々であるとか、その逆だとかそんな個々の状態や性質の問題ではなく、パラダイムの問題だという認識を持たなければならない。

パラダイムが一方通行のひとは、一見不真面目そうでもやはり真面目なので、一度こうだと思うとそうでないものを受け入れることが非常に難しい。だからルールを与えられると、教えられものをそうだと信じ、融通がきかなくなる。

計画を立てるとして、立てた計画が途中で間違っていることを指摘されたとしても、やはり多面的なものの見方ができないため、なぜ間違っているのかを理解しない。

保守的な時代には真面目なひとが重宝されたが、現代ではフレキシブルなひとのほうが重宝される。正義とは時代や場所で変わる。それどころか同じ時代同じ場所でも、隣の社会とでさえ価値観を共有しえない時代に、真面目なひとは生きづらいとは、成る程、道理で。