ひとには視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感がある。

ひとは産まれた時からひとで、死ぬまでひとだから、まさか他の生き物が自分たちとは全く違う世界に生きてるなんてあまり考えない。

だからいろんな生き物を擬人化し、まるでひとのように扱うのだけれど、言葉をもたないひと以外の生き物が、果たして内省することが可能なのだろうか?

言葉がないとしたら、概念はどのように抽象化されるのだろうか?

目も耳も鼻も口もない生き物は、世界の構造をどのように捉え、何を手掛かりに行動するのだろうか?

高等動物のように感覚の発達していない生き物は、もっとシンプルで純粋な世界観で生きているのか、あるいは、空間や他者という概念すらないまま、唯、刺激に反応しているだけなのだろうか?

プリミティブな感覚、生き物が初めて世界と繋がったときの、はじまりの感覚はなんだったのだろう? ひょっとすると、そのはじまりの感覚は、光も音も無い世界で、何か捉えることができるものなのかもしれない。

光、音、熱、化学反応、圧力、それらに対する五感は、プリミティブな感覚からはじまり、進化の過程でそれぞれの刺激に特化し、分化していったがために、あるいは、それ以前の純粋な刺激(?)というものを受容する機能が鈍化しているのかもしれない。

シンプルな入力、シンプルな出力。生命の誕生というは、きっと世界と繋がったこというそれ自体の事じゃないだろうか。

では、なぜ、最初の生き物は世界と繋がる必要があったのだろう? 敵もなく、それ以前に己すらない世界で。

ひょっとすると、ぼくらが生きるための手掛かりだと思っている感覚というのは、ほんとうは全く別の目的からはじまったのかもしれない。