前にインフォメーションアーキテクチャは情報の法則を作り、伝わり方をデザインしてくことなんじゃないかと書いてみたけれど、どうやらそれはインフォメーションアーキテクチャの概念の部分でしかないらしい。

つまり、

言葉が環境なら、情報はアーキテクチャである

ピーター モービル (著) : Intertwingled: 錯綜する世界/情報がすべてを変えるより引用

というわけだ。

この言葉は一言でぼくの情報アーキテクチャという概念を変えてくれたので、もう少し掘り下げて説明的な言葉として再解釈してみようと思った。

言葉は環境

ヒトにとって世界とは概念の集合であって、世界そのものではない。例えば臙脂色という言葉と概念の対応をもっていない外国人には、臙脂色は見えないし、肩こりという概念のないぼくは、どれほど肩がこっていようと肩こりにならない。旨味が日本人特有の感覚であるのは、旨味という概念が日本の風土と文化の中での成長過程で形成されるからであって、仮令それが化学的に確かに証明されようとも、その概念を持たないひとにとって、それを感じることはできないように。

そうして環境はひとに作用する。雪国で育てば雪国のひとになる。常夏の島で育てば常夏のひとになる。ラテン系の民族が陽気なのは、降り注ぐ太陽と豊かな自然によってであるし、北国の民族が思慮深いのは、厳しい自然の中で生きているからだ。

そうしてその民族という不確かな観念も、生物学的には存在しないというのだから、民族間の紛争でさえ、情報アーキテクチャによって存在し、同時に解決可能であるのかもしれない。

世界は構造化された言葉

ならば言葉は環境であると同時に、環境は言葉だといっていい。何を見て何を感じ、何を信じてどのように生きているのか、それらは全て環境と自らの言葉によって決定されている。ぼくの世界はぼくの見えるものでできているし、知らない言葉は聞こえないのと変わらない。

だから世界とは構造化された言葉ということになる。そうして構造化された言葉は情報である。つまり、情報はアーキテクチャなのだ。