言葉の意味から始める思考実験というコンセプトをたててみた。では「消費」という言葉の意味から考えてみる。

消費
消費(しょうひ、consumption)とは、欲求を満たすために財・サービス(商品)を消耗することを指す。資源を使用することでもある。生産の反意語。なお、日本語の「消費」という語は西周によるものとされている。

つまり消費は価値を消耗(使って減らすこと。また、使って減ること。)する。

消費者は消耗を是とするので、価値の減退に対して不安も恐れもしらずただ無思考に批判的になり、批判することが消費者の権利だと信じている。しかし無思考な批判というのは矛盾しているのだけれど、これが正しい表現になるというそれだけで、間違いが潜んでいるという証明にもなりそうじゃないか。

そもそも消費者という概念は産業革命によって過剰に生産された製品を効率よく処理するためにつくられたファンタジーなのだろうから、そのファンタジーの中の登場人物が自分であり誰かであると信じるというのは、制度によって組み込まれた病気を見事に発病している。

しかし実際には過剰に生産された価値なんてものはない。時間と空間を切りとって考えればあるいはある瞬間にそうであるのかもしれないけれど、俯瞰してみれば未だかつて全人類が一人残らず飢えとも貧困とも無縁だった時代はないのだし、欲望は常に生産された価値を超えて成長していく。

工業化によって資本家とプロタリアが生まれた。同時に工業製品は消費されなければ資本は増えないため消費者がつくられた。消費者は消費することによって豊かになるので、資本制経済は史上最も多くの貧困を駆逐した。いいことづくめのように思えるけれど、消費によって価値は消耗しているので、いずれ価値は絶対的に減っていく。消耗した価値は再生産できないために全体がまた徐々に貧しくなっていく。元の木阿弥、SF に描かれる絶対的階級社会における圧倒的に富めるものと絶望的に貧しいものの構造はこうして予想される。

さて、ではどうすればいいのだろう。消費が消耗なら、消費をすると一時は豊かになっても徐々に失っていく。失わないためには消費をして価値を減退させてはいけない。価値を減退させないためには消費していた価値を再生産する必要がある。

つまり、すべての消費者は消費するのではなく、再生産する者としての責任を負う必要があるということになる。