タッチパネル、ジェスチャー、熱センサ、加速度センサ。画面上に擬似的に表示されたポイントを操作するマウスから、徐々にインターフェースはリアルに近くなる。

最終的なユーザとのインターフェースをデザインする職能は、それに伴い、単に画面上のメタファやレイアウトの設計から、人間とモノとの関わりそれ自体の関係を考える能力が求められている。

関係を仲介するインタフェースデザイナは、対象の一方の理解だけでは足りず、その両方の得手不得手を理解し、一方に何を隠し、何を伝えるべきなのかを取捨選択する決断を常に迫られる。

そうして機器が高度になり、処理する情報量が増えるにつれて、オーバースペックは無視できない問題を産む。機能の詰め込みはただの無駄ではなく、相互の関係において雑音となって、インタラクション自体を崩壊させるかもしれない。

さておき、経験的に身に付いた知識は、知っているようで実は何も識らないということが多い。例えばひとはなぜ、何のために、触るのだろうか。

気がつけば口に入れた食物を小さく噛み砕き、柔らかくして飲み込むということを覚えていた。異質なものが口に入れば吐き気を催し、即座に吐き出す。幼い子供は煙草を飲み込むが、大人はそんなことはしない。

触れる、撫でる、叩く、押す、押し付ける、揉む、翳す。未知のものと遭遇した場合、まずどういった行動を選択するんだろう。そうしてそれを選択した理由は、選択しなかった理由は何なんだろう。

そうして何より、日常の動作をインターフェースの中に取り入れる場合、どの行動にどういった意味を対応付けることが自然なのだろうか。

同じ操作をする場合でもあるひとは叩き、ある人は触れているとしたら、それはどのような経緯を経てそうなったんだろう。

性格だというのは安直すぎる。天才であっても言葉は真似て覚える。

というのを、独断と偏見で考えてみる。