境界をつくることで境界をなくすデザイン

例えば暗視スコープは不可視光線を可視光線に変換することで、本来人間の知覚の外にあるもの、つまり境界の一部を取り除く。

ある意味では乱暴な例であるのだけれど、ゴーグルがインターフェースになることで「境界をつくることで境界をなくす」という言葉としては矛盾したコンセプトを説明するのには分かり易い。

デジタル機器は結果以外の全てがブラックボックスになっているので、既存の概念モデルに合致した直感的なデザインが良いとはされるものの、そもそもリアルには存在しないコンセプトであれば、それを無理矢理既存の概念モデルに当てはめるよりも、むしろ短時間の学習で論理的に理解できる概念モデルを新規に構築するほうが好ましいとされる。

例えばリモコンは自然界には存在しないといってもよいものではあるけれど、一番大きなボタンを押すと電源が入り、もう一度押すと電源が落ちるというシンプルな動作で、今ではまるで始めからそこにあったかのように誰もが当たり前に使っていて、そういったシンプルで曖昧性のないコンセプトはすっかり人間の生活環境に組み込まれている。

自然回帰だとか自然なものが素晴らしいという時代はとうの昔のはなしで、今では不自然な人間と自然の共生をいかにして行うのかということに注力され、そこでは新しい、不自然ではあるけれども自然と共生可能な人工の環境というコンセプトこそが素晴らしいとされる。

それになにより、そもそも自然は直感的ではないじゃないか。

人間は美しいものが好きだけれど、自然界の美しいものには毒がある。また、食べれる草と食べれない草を直感的に理解するのは相当の経験が必要なのだから、その直感はむしろ刑事の勘だとか、女の勘だとかいった、言語化不可能な知識から導きだされた帰納の結果でしかない。

世界はもともと直感的でもなければ、人間に優しいわけでもない。むしろ世界は人間に厳しくて、若輩者の直感なんてものはまるでアテにならない。

だから人間に優しいものをつくろうとするのならば、そこには不自然な境界をつくりだす必要がある。それは別に複雑さを吸収するためにあるのはなくて、それらは別に全人類の知識の和集合というわけでもない。

けれどもその境界ができることで、それまで見えなかった境界の先が見えてきて、いつのまにか環境の一部になっている。そうやってそのデザインは、境界をつくることで、境界をなくしている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です