人間を進化させるためのインタラクションデザイン

明日の天気はウィンドウの中にある。北はどっちであの山の向こうになにがあるのかも、全部ウィンドウを覗けばそこにはまるで答えがある。

熟練した農民は肌で感じる気圧の変化で天気を識り、島を渡る民族は星を見て方角を識るらしい。

昔は永い経験を経て得る特殊能力だったものが、今では誰でも簡単に情報をとりだせるようになった。

しまいには空を見上げる前にコンピュータで天気を調べ、目に見える物よりもカーナビを信じて海に突っ込み救出される人間まで現れる始末。

五感の拡張であるはずのコンピュータが、いつの間にか五感に置き換わり、ウィンドウを通してしか世界を認識できないという冗談のような人間がリアルに出現してきている。

人間がサイボーグになる事には賛成だけれど、サイボーグでもない人間が五感を捨ててウィンドウ越しに生きるのはつまらない。

でも、じゃあ悪いのは人間なのだろうか、それとも技術なのだろうか。

朝起きて、空を見上げて不確かな天気を予測するよりも、ウィンドウを開いたほうが確度が高い情報を得られる。まさか朝はあんなに寒いのに、日中の最高気温が二十八度になるなんて今でも信じられない。

便利なものは使うし、島々を手漕ぎボートで渡りあるく必要もないので、星を見て方角を計る術を時間を掛けて学ぶよりは、もっと実利のあるものに時間を使いたい。

けれど少し感傷的な日には、空を見上げて今日は傘を持っていくべきなのかを決めるのも悪くない。機械的なアラームで起きるよりは、小鳥の羽音と鳴き声で起きた方が気分も良い。

コンピュータのインターフェースは進化していて、ほんの数年前には一般消費者には手の届かなかったものが今では当たり前のように手の中にある。

天気を知るにはウィンドウを開くよりも空を見上げる方が自然だし、方角を星を見て識るなんていうのもロマンチックでよろしい。

何かを探すという行動を、インターフェースである五感の自然なふるまいによって手に入れられるようなデザインも近い将来でてくるようになって、その行為自体がひとつの学習になるようになれば、知覚という概念にもうひとつの意味が追加されるに相違ない。

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