リアリティを追求するにしても、視覚的に断絶した Web ページ群を空間的に認知させるのはひどく難しい。

現在主流の手法としては、ヘッダフッタを統一したり、パンクズナビゲーションを配置するものがあるけれど、それらから出来上がるイメージは空間というよりも、例えばホチキスで止められた一束の文書を読んでいるような、つまり線上に並んだ点を移動しているものに近いように思える。

また、別の手法として、下記の例のように平面上に複数のコンテンツを配置し、ナビゲーションを操作することで平面座標をアニメーションで移動させることによって、平面を空間的に表現しているものもある。

平面をアニメーションで空間的に表現した例

見る事と頭の中に空間をつくり出すということは、多くの人にとってほぼ同じ意味を持つ。けれど必ずしも目で見たものを全て変換できるわけではないのだから、視覚だけではない別の何かが重要な意味をもっているに相違ない。では視覚的なものも含めて、空間をイメージとしてつくりだすために必要な要素とは何だろうか。

ジェームズ・ギブソンは「連続した背景表面によって空間を知覚する」といっている。

連続した背景表面(肌理)とはレイアウトであったり、物がもつテクスチャの連続や変化のことをいっているのだったと思う。

他にも音の広がり方や空気の動きなどが考えられる。

けれどもし、単に複数の感覚を総合して無意識に形づくられていくのが空間だとしたら、聴覚や触覚に対する表現の制限された Web サイトを空間として表現するのは不可能に近くなってしまう。

じゃあ肌理や音、空気とはつまり何なのだろう。

シンプルに考えるのなら、それは違いじゃあなかろうか。

肌理とはつまり A 地点と B 地点の違いの手がかりだと言えるし、音も広い空間では広がり、狭ければその逆になる。また、複数の方向から聞こえてくる音もその方向や大きさや違いから空間的な手がかりをくれる。

さらにもうひとつ、先に出てきたキーワードに「連続」というのがある。例えば五階建てのショッピングモールを階段を使って一階づつ徘徊すれば最上階に着いたころには大方の空間は出来上がっている。けれどもし、一階からエレベータを使って最上階まで一気に登れば、途中は断絶し、一階と五階は論理的に同じ空間であっても、頭の中ではひとつの空間として繋げるのは難しくなる。例え無理矢理繋げたとことろで、その間には何も無いか、あるいはエレベータで繋がっているという漠然としたものでしかない。

そんなわけで「違い」と「連続」というふたつのワードがみつかった。そこにもうひとつ、以前空間の定義で必要だといった「基準点」と加えると、何やらひとつの答えに近づいてきた気がしてくる。

次はそれらをさらに具体的に考えてみる