データはもうひたすら増えていくだけだから、いずれ人間の手を離れないといけない。

つまりデータの変化が別のデータを駆動させるように世界を作り変えていかないと、世界はビットで溢れ返って、みんな溺れて死んでしまう。

じゃあデータドリブンな社会がどんなものかを、シチズンセントリック(市民中心)な電子政府のごく初期の段階のシナリオを例にして具体化してみる。

データドリブンな引越し

引越しをすると、ほうぼうに連絡をしないといけなくなる。

住民票から電気ガス水道、会社にも報告しないといけないし、放っておくと NHK あたりは二重で課金してくるので性質が悪い。

同じことをひたすら何度も繰り返すのは馬鹿げていると思いながらも、こればかりは仕方ないと思っていたのだけれど、シチズンセントリックな電子政府に変われば事情が変わってくる。

つまり現在の電子政府はまだごく原始的な段階で、それは今までの役所の仕事の一部を情報システムに置き換えただけで、コンセプトと呼べるものはないらしい。

さておき、シチズンセントリックな電子政府の日本で引越しをすると、手続きは一度で済む。

役所に足を運ぶ必要すらない。ネットワーク端末に自分の共通番号と登録してある生体情報を入力し、住所の情報を書き換える。

すると住民票はもとより、電気ガス水道、固定電話に携帯電話、契約している保険の会社や NHK にまで、住所の変更が適用される。

住所変更に伴う各種手続きは、必要な認証が通知され、許可していけば全てが終わる。

住所のデータがトリガになって、関連する全ての情報が更新された。

去年引っ越しをしたぼくはこれを書いている間に、そういえば保険会社に住所変更連絡をしていないことに気づいたが、近い将来こんなことはなくなる。

データドリブンなデザイン

組織はもとより、個人ですら扱う情報量は増えるばかりだから、データの連携、対話の問題はそれに気づいた時にはもう可及の課題になっていた。だからこれからは、いろんなレベルでのデザインがデータドリブンになってくるはず。