そんなわけで、現在 Web コンテンツは大きく分けると二つある。

ひとつは読むための文書、もうひとつはそれ自体から何かを発見したり、楽しんだりするためのインタラクティブコンテンツ。

数年前ならただ Flash でつくってさえいればインタラクティブコンテンツだと思われていたけれど、最近じゃ様子が違う。

概念が成熟してきている。じゃあ今現在、インタラクティブコンテンツと呼ぶに値するものはどういったものなのかを考えてみる。

まず、インタラクティブコンテンツとは、ただ動いているだけのものではない。視覚効果、動きとしての装飾や、省スペース化のためのガジェット的な UI があるだけのものは、読むための文書になる。

あくまでそのコンテンツ自体が知的な発見や喜びにつながる目的でつくられたものでなければならない。

例えば本をめくるという視覚効果のついただけのコンテンツは、操作はインタラクティブではあっても、コンテンツとしてはインタラクティブではないので、読むための文書になる。逆に Facebook 等は視覚効果としての遊びは限られているけれど、コンテンツの目的自体はインタラクティブなので、インタラクティブコンテンツになる。

たとえば普通の企業サイトやショッピングサイトにただ「いいね」ボタンを設置しているだけのサイトがある。けれどもこれはインタラクティブコンテンツとは呼び難い。読むための文書にソーシャルメディアへのリンクがついただけだ。ボタンが押された結果、インタラクティブの波及を産むのはソーシャルメディアであって、ボタンのあるサイトではない。

ショッピングサイトは Web アプリケーションだからそれだけでインタラクティブかというとそうでもない。例えばスーパーに置いてある通販雑誌はインタラクティブコンテンツではないから、ただ物を売る仕組みだけつくっても別にインタラクティブコンテンツではない。

通販雑誌にはこの雑誌に載っている商品を買ってほしいという明確なインタラクションがある。

けれど読者がそこに FAX を送るなり、電話をかけるなりして商品を買った時点で通販雑誌としての目的は達成される。

あとはセールのお知らせの DM 等が送られてくるくらいだろうか。

ちなみに人間が人間に何かを伝えようとすればそれは全てインタラクションだし、その結果相手が何か反応すればインタラクティブだといえる。

けれどここで問題にしているのはコンテンツなので、インタラクティブというのはコンテンツのアーキテクチャの問題になる。

コンセプトとしてインタラクティブというのは容易い。明文化してしまえばいいし、それこそ「いいね」ボタンがあればもうインタラクティブだという解釈も成り立つ。概念では個々人の解釈の問題になるので、真偽は別にして、話としての論理に一見矛盾がなさそうで相手が納得したのなら、それはそうだということになる。

ところがアーキテクチャとしてのインタラクティブは難しい。なぜそれが必要で、それがあることによってコンテンツ自体にどういう効果が産まれるのか、その結果何が起こるかまでは分かるわけもないけれど、少なくとも打ち出したボールがどの方向の壁にぶつかるとどういう角度でかえってくる(きて欲しい)ということは考えていないといけない。

インタラクティブコンテンツの相互作用は、ユーザ同士が起こす必要はないし、ユーザと企業(の代表)でなくてもいい。つまり人間同士である必要はない。もちろんユーザは人間でなければ( AI の実験でもない限り)意味はない。

コンテンツそれ自体がユーザに対して働きかけ、ユーザがコンテンツとやりとりをし、結果ユーザの心に変化が起これば、それはインタラクティブコンテンツと呼べる。

長々と書いたけれど、ぼくが Web の仕事をはじめた頃は、ユーザインターフェースにインタラクティブな要素があるものをインタラクティブコンテンツと呼んでいたのだと思う。けれど、その言葉のもつ概念は変化して、コンテンツとしてのインタラクティブ性に置き換わってるんだなあと。

じゃあ次は、コンテンツマネジメントについて考えてみる。