ソーシャル Web の一部は現在 SNS という形で実現されている。

現在の SNS にはふたつの種類がある。ひとつはバーチャルな社会を Web 上に展開するもの。もうひとつは実世界の社会の映し鏡としての SNS である。

セカンドライフや mixi 等は前者になり Facebook は後者になる。

どちらが優れているかというはなしではなく、それはただコンセプトの違いでしかない。

バーチャルな SNS

バーチャルな SNS は実世界とは別次元にある。それはゲームのようなもので、その空間に入れば、実空間とは別の誰かとしての振る舞いを許される。小説や映画のフィクションの中に入り込み、別人格としてロールプレイング(役割を演じる)をすることになる。

実社会でもロールプレイングは社会から望まれるのだけれど、バーチャルでのロール(役割)は自分が望んだもの、例えば魔法使いにでも異性にでも自由な役割になれるという意味で、それは現実の自分とは全く異なる存在としてのロールであるから、実社会にシンクロする必要はなく、また演者もそれを望んではいない。

映し鏡としての SNS

これに対して映し鏡としての SNS は実社会の延長であり、実社会の一部となる。ここでの行いは実社会に対して作用することを前提としての振る舞いになる。実社会の延長であるからこそ、ここでは実名がアーキテクチャの重要な基盤になる。もし匿名を許容すれば、実社会とのシンクロは偶然でしかなくなる。

今回は実社会と Web がどう重なっていき、それが起こす変化について考えているので、映し鏡である Facebook を追っていくことにする。

Facebook

Facebook と他のサービスとの明確な差は、正にリアルをアーキテクチャに組み込んでいることにある。

つまり Facebook がリアルとのシンクロ率を高めるほど、リアルは Facebook を欲するようになる。実社会にたいして能動的に作用するアーキテクチャであり、ログが可能で、趣向を分析でき、時間を気にする必要もない。

やがてリアルではコストパフォーマンスの面から出来なかった事も可能になる。ここでは国民の意識調査も、母集団の大多数に対して低コストでおこなえるのである。

繰り返しになるようだが Facebook はリアルの人格と Web 上の人格を一致し、リアルと Web という異なる次元でアイデンティティを繋ぐ仕組みを提供している企業である。そしてそれが他社に対する圧倒的なアドバンテージになっている。リアルの一部であればこそ革命の一助すら可能なのだ。

ここでは、超民主制や、世界市民という概念すら、当たり前のものとして存在し得る可能性も秘めている。

まあしかし、これ以上は SF じみてくるので、次はもうひとつの SNS である Twitter について考えてみる