前回は Web に生息するプレイヤについて考えて、前々回は過去を振り返ってみた。今回は現在の Web がどういったものなのかを考えてみる。

現在の Web の大きな変化は、やはりモバイル機器の高性能化とクラウドコンピューティングの普及による利用の変化につきる。

これまでも日本では比較的高機能なケータイが普及していたので、街中などで Web にアクセスする機会は多かったのだけれど、それはデスクトップ(ノート)コンピュータに比べると非常に限られた機能、情報だった。実際それは一部を切り取って持ち運んでいた、という感覚に近かったと思う。

スマートフォンのもたらした大きな変化のひとつは Web という別次元を、現実空間に重ねたことにある。

それは単に AR による現実拡張のことではなく、いつ、どこにいても、瞬時に Web 空間に繋がることができるツールをひとびとが手に入れることで Web がもうひとつの世界になり、次元の異なる宇宙を瞬時に行き来できるようになったといっても大仰ではない。

つまり Web は「持ち運ぶ」ものから「いつもそこにあるもの」に変化しつつある。これはまさにユビキタス時代の入口で、未来像として示されていたビジョンが、いつの間にか現実になっていて、その変化に気づかないほど当たり前になっている状況がもう目の前にあるのだから、「ぼくの夢見た二十一世紀っぽくない」と嘆いていた自分が随分と間抜けに思えてくるほどだ。

ではこの利用環境の変化は何を変えたのだろうか。

変化したものは無数にある。より高度なリアルタイムでの距離を意識しないコミュニケーション。未知の情報へ一瞬でアクセスできるということは、物を買うというプロセスさえも別の体験へと変化させた。

例えば友人との待ち合わせを未知の場所で行い迷子になっている場合、これまでは音声だけのコミュニケーションであったために「目の前にセブンイレブンがある」という、「どこのセブンだよ」的なこと言われることが多々あったけれど、いまや FaceTime で自分や相手の周辺の情報を視覚的にも手に入れることができるため、それが相手にとっての既知のセブンであれば、何も言葉を交わさずとも迷子は解消される。

物を買うにあたっても、商品知識の希薄な店員しかいなければ、その場でメーカーの製品情報や口コミ情報を呼び出したり、同程度の価格の他の製品情報を検索したりして、今までよりもはるかに有利な状況での買い物ができるため、買って後悔という残念な結果を防げる可能性が高くなった。

これは逆にメーカーにとっては公開すべき情報がアクセシブルに Web で公開されていなければ、選択肢にすら上がらない場面が増えたともいえる。

もちろんこれらは極一部で、ひとの数とコミュニケーションの数だけシナリオは無数に考えられる。

そして既に多くの結果が示すとおり、この波は加速している。開発者にとってはモバイルファーストというコンセプトが徐々にデフォルトになって来つつあるし、それは一般消費者の世界でのデスクトップコンピュータの死すら予言している。

さらに、タブレットコンピュータの普及がそれを加速させている。

iPhone で旅行の写真や子供の動画を編集するのは流石に骨が折れる。けれど iPad ならそうでもない。むしろタブレットであれば、その画面を家族や友人とソファの上やコタツの中で簡単に共有できるという点で、それまでのデスクトップでの孤独な作業が一転、楽しい家族団らんのほんわかタイムに早変わりする。

iPad は物理的にはただのデカい iPhone だ(もし発表の順序が逆ならその逆だった)。けれどエクスペリエンスは全く別のものになっている。

もし Web の GUI やエクスペリエンスに関わるデザイナで、未だタブレットを生活の一部として組み込めていないのなら、それは将来支払わなければならない大きな負債が日々増加している状況だといっても過言ではない。

そんなわけで Web はこれまでの「行く」空間から「常にそこ在る」空間へと変容している。手を伸ばせばそこにあるのだから、それはもう隣の部屋へ行くよりももっと近いものになっている。

変化はあらゆる部分に起こっている。そしてそれはアーキテクチャの変化によって起きる