最近は外来語や和製英語が氾濫して、もうついていけないというひともいる。

しかし言葉というのは必要から産まれるのだろうから、新しい言葉が次々に産まれてきているのは、新しい概念が次々に産まれてきているからに過ぎない。

IT 用語がその諸悪の根源のように扱われるのも、ただ IT が未成熟なため、成熟していくために自身を表現する言葉をつくり出しているだけで、その他の分野でも、無数に新しい概念と、それを表現するための言葉は産まれては消えている。

実際横文字は分からないというひとも多いけれど、実は文字の縦横というのにはあまり意味はなく、それが未知の概念ではあれば、横文字であろうが縦文字であろうが理解には時間を要する。

けれど漢字は象形文字であるし、既存の言葉の組み合わせによって構成されているものは、まだ理解が容易いようにも思われがちだ。

一理ある。が、むしろそういうことであれば、実際は概念が既存のものの延長であるのか、もしくは未知のものであるのかによるところが大きい。といった方が的確だ。

例えば「演繹」という言葉がある。これは立派な日本語で、漢字だけれど、その漢字の構成からどこまで意味が掴めるだろうか。

「演」は演じるっていうことだろうか。「繹」なんてそもそも何を表しているのかからして謎だ。

例えば「ビジネスアーキテクト」という言葉がある。「ビジネス」は仕事のことだろうか。「アーキテクト」建築家のことか。ということは仕事の建築家、何かマネジメント系の言葉だろう、という推測はできる。

それにしても聞いた事のない発音の組み合わせがそうでないものよりも覚えにくいのは事実だが、それは概念の理解とは別のはなしだ。

どちらにせよ今は時代の要請として、新しい概念が凄まじい速度で産まれるのはしようがないことだし、イノベーションとは世界を変えることなのだから、昨日までに無かったものには、新しい名前を割り当てる必要がある。

勿論、無闇な乱用は、言葉としての用をなさないのだけれど。