そんなわけで、文書構造のセマンティクスをどう設計するかについて考えてみる。
では、そもそも文書設計とは何か。
- 設計
- 設計(せっけい、design)は、必要とする機能を具現化し検討した結果を建築物や工業製品、情報システム等を造るために仕様(設計図書)や設計図・設計書等を作る作業である
Wikipedia にはこうある。つまり設計とは、目的を決め、その目的を達成するための手段、手順を求めるということだろうか。
けれど、設計とはもともと工学や建築の分野のものであるので、文書設計というとよく分からない部分が多い。そもそも、文書設計は何故必要なのか。
まず、文書とは文字や図表によって記録された情報であると定義し、その定義に基づいて考えを進めてみる。
情報である以上、その発信者の意図があり、彼は第三者である文書の参照者に対し、何らかの表現をすることで伝達を成立させる意思があるものとする。
また、文書はその発信者が不在でも、その伝達意図の正確さが一定以上担保されなければならない。よって文書には客観性が必要となる。
表現である以上、過不足が少ないほうが良い。文書を参照するであろう人物の知識を推測し、彼にとって既知の情報は省くほうが良い。けれど、未知の情報に関しては、その概念の細部までをより正確に記す必要がある。
であるならば、文書の目的を果たすための適当な情報量、表現手法、項目等は、ペンを持つ以前に決めておいた方がより表現としての質を上げ、伝達という目的を果たし易くなる。
また、甲を別の場面で乙と呼ぶなどの、余計な混乱を招く表現は避ける必要もある。そのためには、甲の名称は常に甲であるということを、事前に定めておいたほうが都合がよい。
さらには、複数人で大量の文書を記す場合などは、より一層事前の決め事を行っておかなければ、参照者は混乱し、その目的の果たされる可能性は低くなってゆく。
以上のことから、ここでいう文書設計とは、文書による情報の伝達を意図する者が、誰に、何を、どのように行うべきかを事前に決定する行為とする。
それでは実際のプロセスはどのようになるだろうか。それはおおまかにではあるが、以下のようなものが考えられる。
- 表現目的の決定
- 参照者の仮定
- 仮定した参照者に対する表現の決定
- 表現のルール、マナーの決定
表現目的の決定と参照者の仮定は至極当然の事として、案外捨て置かれているのが、表現の決定だったりする。誰に、何を、まで決めて、早々にペンを走らせようとする。
ブログや趣味の詩表現ならむしろそれで良いのだろうけれど。
さて、だんだんややこしくなってきたので、ここで一旦 HTML に戻す。実際この「どのように」というのを、自然に行うのに HTML は適している。
HTML 文書構造の基本は、アウトラインになる。アウトラインというとよくわからないので、見出しを持った文の塊といったほうが良いのかもしれない。
見出しはそれが属する文章の要点を完結に述べたものである(べきだ)。
HTML は見出し要素によって文書のアウトラインを形成する。よって見出しの無い文書はあり得ない。見出しが無いまま始まる文章は、それ以前に出現した見出しに属することになるので、見出しの設計を怠ると、全く関係のない見出しに属した文章が、文書内に散在するという哀れな結果になる。
HTML で見出しが重要視されるのは、文書とって見出しというのが大きな意味を持つからに他ならない。
つまり見出しとは、「どのように」の設計である。
例えば「旅のしおり」という文書を書くとする。まず最初は、必要な項目を箇条書きにする。
- 旅のしおり
- 催行日時
- 目的地
- 経路
- 必要経費
- 移動手段
- 天候等による延期について
と、こんな風に、何を書くかを決め、その順番をどうするかを決定し、漏れなしと確認してからの方が書き易い。
そして、これがつまり、文書のアウトラインになる。「旅のしおり」が h1 それ以降は並列であるから h2 もし、さらに子見出しがあれば、下位の見出しレベルに当てはまってゆく。
文書設計が上記のようなものであるとしたら、それは HTML による構造化を目的としたものではないと理解できる。もし仮に HTML のために行うのであれば、それは構造化のための構造化という本末転倒なものになり HTML はただ描画のための手段で事足りる。
もちろん実際はそうではなく、表現としての正確さや分かり易さのために構造化は行われる。そしてその結果として美しい HTML の構造ができあがる。
では、次は美しい文書の美しい HTML 化を、構造化という側面から行う場合、どのような方法が良いのかについて考えてみる。