サザエさんは1946年(昭和21年)4月22日、福岡の地方新聞『夕刊フクニチ』で連載を開始したらしい。

1946年は第二次世界大戦の終結の翌年。終戦直後の焼け野原。GHQ の占領下。

開始当初のサザエさんがどういったものかは知らないが、今と同じようなものであったのなら、一般的な家族のモデルケースというより、ある種のノスタルジーや、理想像だったのかもしれない。

その後間もなくほんとうにモデルケースになったようで、ごく一般的な家庭像として定着した感がある。終身雇用制のサラリーマンであるマスオさんと、その妻サザエさん。家父長制による家族の大黒柱である波平さん。家を守る主婦フネさん。

家族団らんの夕食。平屋、縁側、隣人、町内のコミュニティによる教育制度。

古きよき時代とはよく言うが、過去には過去の問題があった。あるいは貧富の差がクローズアップ(というか日本全体が貧しかったのか)されないかわりに公害問題、出生による差別も今よりもあからさまに行われていたのであろうから、昔はよかったというのは、ただ老いが若さを懐かしむに過ぎないように思う。

確かサザエさんは24、5歳でマスオさんもその少し上。タラちゃんが3歳だとすると、サザエさんが結婚したのは19、20歳の頃だろうか。たぶん女学校をでてすぐに結婚したのだろう。

すると波平、フネ夫婦は40代後半。今見るともう老人のように見えるが、当時の40代後半というのはああいった感じだったのかもしれない。

既に一部の田舎を除き、サザエさんの家族形態というのはあまり見かけることがなくなった。よもやサザエさんの中に携帯電話やインターネットはでてこないだろうが、それでも黒電話に出るカツオの姿は未だリアリティが残っている。

では今の少年世代はサザエさんを見て何を思うのだろうか。そこにリアリティはあるのだろうか。カツオやワカメに、一部でも自分を重ねることができるのだろうか。

明治維新という国家観、人生観のイノベーション。国家の総力戦の結果の惨敗を経て、現在から見れば分かりやすいほど生活もひとの考え方も変わったが、それも一朝一夕におこったわけではなく、その時代を生きたひとにとっては昨日の延長線上にあるものでしかなかったのだろう。

昭和は過去であるが、それでも時代劇というほどの遠さがない。

昭和を生きた世代が絶滅したら、昭和は時代劇の材料になるのだろうか。

サザエさんが時代劇になる日、それはただ時間の経過や、単純な生活様式の変化で起こるものではないように思う。

当時とは全く異なる価値観、国家観が定着して初めてそうなるのではないだろうか。