走り書き – UI

UI の変化のもたらすほんとうの変化は UI ではなく生活の変化。いままでブツギリにあったコンピューターを扱うという行為が生活の自然な流れの一部になる。それはもうモバイルではある程度当たり前のことで、だけれども貧弱なモバイルでは制限されていたものが、なくなる。っていうか全部スマートフォンになればいい。

将来的には分離され、ブラウザが持つ事になる Web の UI も、その時を待つことなくそれにともなった変化をせざるをえない。

まだ見えないけれど、ページという単位で UI もサイトもつくることはなくなると思う。UI は UI で情報は情報なのだから、情報と UI を一緒くたにあつかうべきではなく、 UI で情報を引き出すという考え方でつくらなければ、パソコン用のホームページはつくれても、デバイスの多様化には対応できない。

マウスというのは近い将来大多数のひとは使わなくなるだろうから、マウスというデバイス前提で設計されてきたものは、全て古くなる。

それはなにも全てがタッチパネルに置き換わるというのではなく、リモコンや、もしくはジェスチャーなど、デバイスが多様化するということは UI が多様化するのと同義。そして多様化は複雑さを増すことになるため、だからこそ UI は情報がもつべきではないという結論になる。

ただ、 UI の全てをデバイスに期待するというのは無理なはなしだろうし、それはただ退屈なだけのようにも思える。

だとすると、 Web デザイナーはインタラクションデザインに注力するべきか。

まあどちらにせよ、人間には最大でも耳鼻目口触と手と足があるくらいだから、その範囲でとりあえずは考えればいいけど。

しかしデータ放送の UI って好きになれない。いっそ家電メーカーでなくて、ニンテンドーとかにつくって欲しい。せっかく未来の放送がやってきてるというのに、あれがだいなしにしている気がする。

あと、やっぱ一番期待するのが音声認識。声を媒体にしたインターフェースはマン・マシンインターフェースという概念を一変させる。

識字率の低い地域であっても多くのひとは自然言語を扱える。自然言語でマシンを操り、結果をまた自然言語で聞く。

そうなれば、コンピューターを扱えるというのはごく自然なことになり、学習はほぼ不要になる。

そういえば OLPC ってどうなってるんだろう。

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