情報の価値は時間の経過によって減退していくのかしらん

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年末ということでブックマークの整理とかしてみたら、半分以上なくなった。

基本技術屋なんでそのへんのブックマークが多いから、時代遅れになたやつとかは全部削除。

でもプロパティとか関数のリファレンス系はきれい残っている。

じゃあ、ブックマークが不要になたということはつまりその情報の価値がなくなったのか、それとも情報が知識になることで、外部に情報として保持しておく必要がなくなったのか。もしもその情報に価値がなくなったとしたら、その情報はもう不要なものなのか。ただ、情報の要不要というのは必ずしも不要だからすべてなくなればいいといことでもなくて、いつかふとした瞬間に必要になるかもしれなかったりする。

そういえばムスリムが仏像を破壊したというニュースがあったけど、ムスリムにとって仏教の情報(仏像は実体ではあるけれども、実体も仏教という思想において概念化され、その結果として仏像という実体になっているとしたら、人間にとって実体も情報だといえるような気がする)というのは不要なんだろうか?

もしムスリムにとって仏教が不要な情報、あるいは有害な情報だとして、その有害な情報をとりのぞき、世界がすべてムスリムになったとき、はたしてムスリムの思想だけでメンタルの補完、補助というは可能なのか。

敵なき国家は滅びる、というはすべてにおいていえることで、敵、もしくは有害な存在というものを全て排除した場合、その組織集団の維持というものは不可能になる。元来国家というものは群をなすことで、生存の確率を上げるということが目的のはずだから、生存を脅かす存在がなくなれば、内部での権力闘争という無様なフェーズに移行し、群そのものの存在価値というものがなくなる。結果内乱によってあらたな国家が形成され、時代は繰り返される。

結局なにを考えていたのかすら忘れたけれど、不要なものだから排除し、存在そのものを消してしまうことで世界がきれいになるというのは、思想として稚拙な気がする。

でもブックマークは、整理したほうが気分はいいし、情報が適切に構造化されることによって得られる利益は、実際の数値には変換できなくても、たとえばひとの認知や記憶を容易にするなど、数字至高主義の近代国家の稚拙な思想では計れない利益を産む。なので、情報を捨てるというのは不要になるということではなく、情報が血肉になるということで、それはただの破棄とは違うのだと思う。

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